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最近、福井のとあるプロジェクトに関わっています。
地元の工務店と一緒に、素材の可能性を探る取り組みです。
先日は使い終わり、回収されたアルミ缶を一つひとつ切り開き、その裏面を外壁材として転用する実験をしてきました。
よく見ると、メーカーによって缶の厚みも違えば、模様の出方も少しずつ違う。同じ素材を並べても、ひとつとして同じ表情がないんです。
「この柄どう組み合わせようか」「立体にしたらどうなるかな」
そんなふうに手を動かしながら、素材と会話する。
そこには、“ゴールから逆算してつくる”デザインとは真逆の世界がありました。
目の前の素材を起点に、偶然や発見を楽しみながら形にしていく。
その自由さに、心が動きました。
通常、デザイン業界では、意味や目的が最初に求められることが多い。
でも、廃材を前にしていると、そうした理屈がすっと抜けていきます。
ただ面白いからやってみる。
その工程そのものが楽しくて、そこにこそ価値を感じる。
そんな感覚がとても健やかで、まっとうに思えるんです。
もちろん、世の中の多くのものには“意味”が求められる。
でも、意味がないからこそ美しいもの、惹かれるものもあります。
酒蔵を改装した展示会に行ったときも、並んだアート作品より、
建物そのもの──静かに佇む梁や壁──のほうに心を奪われました。
作為のないものほど、強く印象に残ることがあります。
予定調和ではないもの、少しの歪みや偶然に宿る面白さ。
それを見つけ出す感性こそ、創造の原点なのかもしれません。
“無駄”を無駄と思わない力。
意味を求めすぎない柔らかさ。
それが、豊かさを生む気がします。
ブランディングの本質も、そこにある気がします。
「好き」や「こうありたい」という感情をすくい上げ、
それを丁寧に形にしていく。
結果として社会に届くのは、
戦略やロジックの前に、
誰かの“原初的な願い”が生んだかたち。
そんな循環こそが、新しい価値を育てていくのだと思います。
RYO NAKAGAMI
AI TAKASHIMA