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細部に宿る、神と悪魔

#19

デザインの仕事をしていると、つくづく思う。「見えない部分」にこそ、その人の美学が出るな、と。

見た目がどれだけきれいでも、データを開いた瞬間に散らかっていると、なぜか全体まで雑に見えてしまう。
逆に、裏側まで丁寧に整っている人のデータは、不思議と表も美しい。

以前、あるデザイナーさんが言っていた。「デザインが上手い人は、データがきれい」と。たしかに、チームで仕事をしているとそれを痛感する。誰かに引き継いでも破綻しないように。その見えない設計の精度が、デザイン全体の呼吸を整えていく。

こうした「裏づくりの美しさ」は、性格だけではない。几帳面とか真面目というより、構え方の問題なのだと思う。チームの中で自分がどんな役割を担っているのか。どんな視座で全体を見ているのか。
立場や環境によって、デザインへの姿勢は自然と変わってくる。

ホームページをつくるときも同じだ。見た目を整えるだけでなく、文章の流れ、ユーザーの導線を意識したコードや構造──そうした“裏の設計”がきれいだと、サイト全体が呼吸するようにすっと動く。

私は、日頃から素晴らしいデザイナーさんの仕事を目にする。
データの整理だけでなく、フォント選び、写真のトーン、見えないグリッドの整え方まで、すべてが美しい。
誰も見ない裏側に手をかける人ほど、表の佇まいにも芯が通っている。

やはり神は細部におられるのだ。
ただ、その“細部”の解像度は人によって違う。
1mmなのか、0.1mmなのか、0.01mmなのか。
そこにその人の“美意識”や“哲学”がにじむのだが、疎かにすると、逆に悪魔に蝕まれ何ものともならない。

結局、裏と表はつながっている。
裏のしつらえが整えば、表の佇まいも自然と美しくなる。それはフォルムの問題ではなく、心の整え方の話。

丁寧にファイルを整えること、ホームページの構造をきれいに保つこと、見えない誰かのために余白を残すこと。そうした小さな所作の積み重ねが、きっと“美しい仕事”をつくっていくのだと思う。

AYUMI KOSHINO
AI TAKASHIMA